今日の一盤(リバーサイド320番ウェス・モンゴメリー)

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60年1月、ジャック・ヒギンズ、ジャック・マシューズ録音、ポール・ベーコン デザイン、WES MONTGOMERY(g)TOMMY FLANAGAN(p)PERCY HEATH(b)ALBERT HEATH(ds)
名盤の誉れが高い本作であるが、改めて聞き直して、聞けば聞くほど本セッションの一部始終にくぎ付け、惚れ直した。
ウェスの天才的なフレーズ、トミフラも、さすがの実力発揮、この2人の掛け合いで内容は素晴らしい。さらにはパーシー・ヒースの端正なベース、アルバート・ヒースは過不足なく下支えし、心地よい。僕はこれをCDで欲しくなった。
僕は本作を聞きながら、昔出た「ジャズ批評」でのウェス・モンゴメリー物語を吸い寄せられる様に読みあさった。
男4人、女1人兄弟の三男として1923年誕生。親が離婚、兄弟3人は父方へ、弟と妹は母方へ、長男は18歳時に逝去、次男は14歳時に学校を退学して荷役の仕事で家計を助ける。そしてハイスクールに通うウェスにギターを買ってやる。感激したウェスは猛練習にいそしむ。話は飛んで、58年時、ウェスの年齢は35歳、6人の子供に恵まれ、朝7時から午後3時まで溶接工の仕事、夜7時から午前2時までバーで演奏、2時半から5時まで次のバーで演奏、こんなハードワークをこなしていたという。この辺りは浪花節的でモンゴメリーの人間力を感じさせる。運命がウェスに味方したのは、キャノンボール・アーダレーとの出会い。噂を聞いたキャノンがウェスを見るに2時半から5時までのバーに駆けつけ、ウェスの目の前、かぶりつきで聞いた。びびびーと響いたキャノンは店の電話を借りたくも電話もないバー、翌日、オリンキープニュースへ報告に走ったという。(キャノンは営業部長役だったのだろう)
その後の活躍は知っての通りだが、彼の活動の基本は兄弟3人の活動であった。次男がベース、弟がピアノ。家族愛、兄弟愛だ。もちろん単独での活動時間は増えていっただろうが。
61年のコルトレーンやドルフィーとモンタレージャズフェスで共演し、コルトレーンからバンドへの勧誘があったそうだが、実現しなかった。家族・家庭を取ったのだ。68年6月15日心臓発作にて逝去。享年45歳、リバーサイドに登用されてから死までの10年は夢の様に男ウェスは開花した。しかしなーと思う。父としてのウェスは忙しすぎて子供とどれだけ触れ合うことが出来たんだろうか?本作の録音時に7人目の子供が誕生した。
コルトレーンバンドに加入しなかった心意気というかポリシーを忖度しようではないか。
努力は天才に勝るという。ウェス物語を読むと相当努力したようだが、本作を聞いて、努力だけでは備われない天才的なひらめき、官能センスを感じぜずにはいられない。元々の天性を有するウェスだが、生活に追われて、切磋琢磨しなけねばならない環境だったからこそ出来上がった彼のアートなのだろう。世の優れたアートっていうのは、そんなものなのかな?
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